元物理学・宇宙物理学専攻(宇宙物理学分野)所属・名誉教授  嶺重 慎

 
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「名誉教授随想」を書くように、ということである。さて、何を書こうか?
ふと、学生時代に大いに感化された哲学の教授が書かれた「定年退官の辞」(*)を想い出した。こんな風に始まる。。。
「停年(定年)はなぜあるのでしょう? ・・・それはね、後がつかえているからさ」
なるほど、そういうことか、と合点した。 (さすがに哲学者の言葉には含蓄がある。)
そういえば、定年制を「新陳代謝」と表現した方もおられた。これを読んでおられる現役のみなさまも、いずれ「後がつかえて」定年するのである。
「定年制とは成る程うまくできた制度である。」

閑話休題、思えば、随分長きに渡って、みなさまがたに(教員・学生だけでなく事務の方々にも)大変お世話になった。おかげさまで、自由に研究・教育その他の活動を楽しむことができた。この場をかりて厚く御礼申し上げる次第である。私はサイドワークとして、視覚・聴覚障害者向けの天文教材をつくったりしたが、その経費の一部は、京大の全学経費から出していただいた。(当時の)理学執行部が本部にあげていただかなければ予算は認められなかったのだから、こうした、専門研究からはなれた活動にも理解を示してしていただいたことに、とても感謝している。
さて、先の哲学者の辞に戻る。こういうことも書いてある。
「(定年後は)隠れて生きよ!」「小隠は山林に隠れ、中隠は市井に隠れ、大隠は朝廷に隠る」
これも含蓄のある言葉である。しかし、まだ隠れ家は見つかっていない・・・
いかん! 思いのほか長くなってしまった、後がつかえている、これ以上、無駄話はさけ、後の方にバトンタッチすることにしよう。

(*)東京大学教養学部報編集委員会『東京大学「教養学部報」精選集』(東京大学出版会2016年) 廣松渉氏の文章から引用